欠けている事は道標(声磨き@酒井佳世)
"僕の欠けたところと
君の欠けたところを
何故かお互いに持っていた"
米津玄師さんのflowerwallの歌詞です。
この歌を聴いて、
「人は欠けていて良いのだ」
と気付けました。
だからこそ、
人は人と出会えるのだと思えました。
目標を持って生きる人は
理想の自分を追い求め
努力して行きている。
理想の自分になる為に
自分に無い部分(欠けたところ)を探し
理想の自分になろうと努力する。
それは、
とても良い事だと思います。
だからこそ、
人と人は繋がれる。
ですが、
そこに生まれてくるの副産物があって
「欠けている事がいけない」
「理想にならなければ」
という思考です。
私は「声磨き」で
本来の自分(声)で生きるには
本当の自分と繋がる事が大切だと
お伝えしています。
その為には
自分がどんな思考癖があるのか
自分に足りないものは何なのか
知り
「そんなとこあるよね」
と認めるだけで良いのですと
お伝えしています。
欠けているのが
悪い事では無いのです。
それは、言葉のイメージであって
男性か女性か
と言う事と同じように思います。
大人なのか子供なのか
山羊座なのかさそり座なのか
そんなモノのように思います。
そう考えたら
「欠けている」って
道標
なのではないかと気付きました。
誰かと出会う為の道標。
陰と陽の様に
補いあい
欠けているからこそ
バランス良くひとつの円(縁)になる。
「声磨き」と言う私の知識や情報が
それを「必要としている方」と出会える。
私が必要とするモノを持っている方と
出逢うには
私は持っていなくて良いのだと
腑に落ちました。
欠けているからこそ
人と繋がれる。
"どうして巡り会えたのか
その為だけに 生まれてきた様な"
欠けている事は
愛おしいものなのだとさえ思えて来ました。
この歌はJOYLEさんと言う方のサイトで
紹介されていて聴いてみました。
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